ボランティアは、自己満足の行為の塊で、勝手だと思う
ことがある。それはもちろん自分を含めて。
無意識的な行為は、時に暴力的でもある。ことがある。それはもちろん自分を含めて。
お金も貰わずに、わざわざあなたたちのために来ている
んだ。せっかくやってあげてるんだから、ありがたく受
け取ればいいのに!
私の無意識からの言動がそうに語っているときはないだ
ろうか?
ある欧米のボランティアの方は、
おお、かわいそうに…もうすぐで天からのお召しがくる
から心配しないで、神はあなたと共にあるのよ、と英語
で話しかけて体にふれる。
盲目で手足も硬直状態のゴーンは、英語を理解できなか
ったため、かえって恐怖を感じていたという。
それもそのはず、あんなに食べることが好きだった食事
も全く受け付けなくなり、尿道に管を入れての排尿にな
ってしまった。昨日からは呼吸もあらくなり白目をむい
ていることさえある。
隣のベッドのワーンは、二人のちぐはぐなやりとりを面
白がってけらけら笑いながら、
【《何いわれてるかさっぱりわからない》って言っている】
と英語で説明しても、きょとんとするだけ。
【 やたらとべたべたさわってきて、わからない言葉で話
しかけられてもうるさいだけ。ほっといてくれってい
ってるのに!!】
【 本人はそう言ってるけど、それを伝えたらショックだ
ろうから言わなかったけどさ!】 と言う。
(※ 患者さんに話しかけていた方は、とても愛情あふれる
ボランティア経験豊かな方です☆)
患者たちもボランティアに遠慮したり気を使っているん
だと思ったら、なんだかとてつもなく申し訳なく切ない。
ただでさえしんどいだろうに…
実は、ボランティアはこの場所には出入りさせてもらっ
ているだけでもありがたい。
なぜなら本来は、寺の内部だけでも運営はまわっている
のだから。
外部からの手は必要としていないと言えなくもない。
なくてもいいがあってもいい、プラスアルファ。
ただ、患者さんたちは、基本的に外部に対して好意的で
ウエルカムである。
自分たちをケアする手が多ければ多いほどいいという傾
向がありながらも、このようなシチュエーションが起き
ることも少なくない。
人事ではない。
悪気なく人を不快にさせてしまうことって、日常でも多
々ある。
この行動は自分の満足のためだけからではないのか?
自分に問いかけ続けよう、あらためて。
善意からの行動だからこそ、慎重に注意深く扱うことが
できたのなら誰もが受け取りやすくせっかくの好意も水
のあわ。
《 共感 と 同情 》
本人がしてほしいこと と 自分がしてあげたいこと
それは 似て非なるもの
● 運命の出会い
療養中の患者さんがお寺で非陽性者と出会い、共に人生
を歩むことになったカップルがいる。いままで4組の方
にお会いしたことがある。
☆(お寺で働く男性と女性の患者Aさん)
Aさんは20代前半で、まるで元ヤンのようにちょっと
荒っぽい口の利き方をする、でも甘え上手でキュートな
女の子。
の仕事をしているが、そんなにハードでもなく体調の様
子をみながら働けるそうだ。
半年近くぶりに再会したAさんは、ちょっとほっそりし
たけれど随分とおねえさんになったなあという印象だっ
た。寄り添うふたりはとても穏やかだった。
☆(タイ人ボランティア女性Bさんと、男性の患者Cさん)
Bさんは以前は、幼稚園の先生をしていた。
学生の頃日本語を習っていたといって、日本語で自己
紹介したり、覚えている言葉を書いてくれた。
日本にも行ったことがあるという。
二人は寺で出会った。
Bさんが休暇でボランティアとしてやってきて、出会っ
た時からお互いに特別なものを感じ、1ヶ月後には、も
う一緒にいることになった。
Bさんの周囲からの反対もあり、当初はこのときめきに
不安もあったけれど、強いつながりを感じ、入籍した。
ほぼ1年はお寺の外で生活したが、具合が悪くなった時
に生活することが困難で、お寺に戻ってきた。
現在はボランティアではなく、お寺のスタッフとして働
いているBさんからこんなことを聞かれた。
【 MAMIだったらどうする?もしこの人だ!と思う人
がこの寺の入所者だったら… 】
実際にそんな出会いもなく、すぐに答えられない。
私だったら…正直、悩むだろう。
そこで、何人かの人が言っていた言葉を思い出す。
【 この病気だと人を好きになってはいけないの? 】
【 好きな人といたいと願う事も許されないの? 】
出会った人が、エイズ発症者だった。
それが他の病気の場合だってある。
Bさんからの質問への答えは【 ご縁 】だった。