オフィスで仕事をしていたウイウに赤ちゃんが
できた!
しかも、2週間後に産まれるって!?
聞き間違いかと思ったら、そうではなかった。
他の件で病院にいったら、妊娠していることが
わかったそうだ。
それにしても産み月まで気がつかないとは、何
かおかしいと思わなかったのー?と聞いてみる
と、体重が25キロほど増えたけど、ただ太っ
ただけだと思ってたという。
なんというおおらかさ!!
お腹の子の呼び名は【 フック 】にした。
どういう意味か聞いてみると、思ってもいなか
ったとか無意識に…という意味だそう。確かに
親の驚きがあらわれている。
お産は心臓の負担と子供のHIV母子感染も懸
念して帝王切開にするとか。母乳を飲ませない
指導がなされ、粉ミルクが無料で配給される。
無事に産まれてきますように!
誰もがそう願った。
そして…2週間後、
4キロ近い色白の女の子が誕生した。
ママが大きいから、あまり大きく見えないねえ。
4キロ近い色白の女の子が誕生した。
ママが大きいから、あまり大きく見えないねえ。
アロンコット師から【 ゲーム 】(*頬という意味)
という呼び名が贈られたたため、産まれるまで呼ばれ
ていた【 フック 】はお蔵入りとなった。
という呼び名が贈られたたため、産まれるまで呼ばれ
ていた【 フック 】はお蔵入りとなった。
病院は子供の感染予防対策の一環として一定期間投薬
するのだが、ゲームの場合、医師の指示を見過ごした
看護士のミスで投薬されていないことが発覚。
その後気がついた医師が慌てて投薬を開始した。
これがどういうことになるのかまだ誰も知りえないが、
どうかどうか、最悪の事態につながることがありませ
んように☆
● 母の日
8月12日は母の日で国民の休日となる。
この日、子供はジャスミンの花輪を母に捧げて
日頃の感謝のしるしとする。
盲目のPサックの母と姉が寺を訪れた。
たびたび息子を慰問する母は、花輪を手にする息子
を目の前に涙を流す。
そして、サックの身の回りの世話や洗濯など面倒を
みる恋人のレディボーイのデーンに【 本当にいつ
もどうもありがとう!あなたがいるからうちの子が
こうして頑張っていられるの 】 と、デーンの髪
をなでる。
母は様々なことを受け入れたのでしょうか。
ひとりひとりが観音様のようだった。
市場の花輪売り場
その日、盲目のトムが涙をうかべながら【 お母さん
のかわりに花輪をもらってください 】という。
手に握られていた花輪は高価なものだと見てとれるが、
長い間握りしめられていたため、変色して枯れかけて
いた。お母さんに恋しい気持ちが届きますように!
トムの母は、病気になった娘をまだ許していない。
電話で話すことすら難しく、居留守を使うこともある
そうだ。入所した当初は、亡くなった恋人の家族がト
ムを定期的に数日間家に招いていた。
故郷に帰りたい帰りたい訴え続けるトムに、彼らは、
せめてもの慰めになればと、2ヶ月に1回1週間ほど
お寺巡りに連れ出すのだが、トムは車にのると疲れる、
外泊は眠れないと、文句を言い続ける。
トムはストレスのあまり要求が多く、何をしてもらっ
ても満足することができないでいる。
せっかくの好意で迎えてくれていた恋人の家族の足が
遠のいてしまうのも、ストレスのため、つい依存が過
ぎてしまうトムのことも、誰が責めることができるだ
ろう。
9月で寺に通うようになって丸2年になる。
わずかな貯蓄が底をつくのも時間の問題…日本とタイ
を行き来する生活にもけりをつけ、どちらかをベース
に決めようと考えはじめてからずいぶんたつ。
(すみません個人的な話です…)
なかなか決め手がなく、シュミレーションを何度も重
ねてきていた。
日本での仕事も家族のことも気になるし、もう日本に
決めようか…でもどうしてもお寺のことだけが心残り
だった。
ようやく心が決まった。よし、お寺のことを納得いく
までやってみよう!仕事もタイではじめる。だめなら
そのときは一文無しで日本に帰ればいい。
家族のことも何かあればすぐ駆けつけられる。
ただ、移住後も仕事が軌道にのるまで今までのように
に物資を提供することができるだろうか?
そう言いながらも、お寺に行くとやることに追われて
【 心配しても仕方ないな… 】と気がかりはどこへや
らだった。
まずは長い間の懸案事項を決められたことで、大きな
一歩を踏み出せたような気持ちだった。
そんなある日、以前お寺でボランティアをしていらし
た日本人医師とお会いすることとなった。
タイでの経験を踏まえて、HIV/AIDS患者その家族の
支援を、広く一般への啓発を目的とした団体を主催さ
れる谷口医師である。 (写真中央)
寺の施設増設にではなく、患者のために反映させた
いと言われた。
小金を1人いくらかづつ渡したとしても、何かおい
しいものを食べてそのときで終わり。
それにこれから両替に行って次の予定に間に合うの
だろうか…と話されていたところだったという。
この方も同じ思いの方だった!と、嬉しくなって、
私も同じ考えで患者の様子をみながら必要なものを
届けていることを伝えた。
しばらくすると先生は【 お金を預けますからみな
さんのために使ってあげてください 】と言われた。
これで患者への必要な物資が届けられる!と思うと
嬉しいやら驚くやら。患者を思う先生の気持ちも伝
わってきて涙で声がでない。
NPO GINAからの資金は、患者のリハビリ、
何か治療が必要な場合と工芸品を製作する方々の
支援に使わせていただくことになった。
そしてその数日後、オランダのボランティア HUUB
さんが、
【 来年また来るけど、それまでの間みんなに今まで
通りしてあげてくれる? 】そう言って、資金を
預けていかれた。
オランダの団体からの資金で、新聞や果物、日用品
など支援をさせていただくことになりました。
(For patients warairak
Dornation money form friends from Huub)
Dornation money form friends from Huub)
何も私1人でやらなくてもよかったんだ。
今思えば資金はどうしようかと気にかけていた時間
が嘘のよう…ただただありがたいのです♪
みんなの気持ちを届けよう!
ほぼ2年間自費で支援を続け、優先順位や傾向が把
握できている時だからこそ、きっと資金をうまく活
かすことができるだろう。
夫婦、親子、兄弟姉妹、恋人、近い関係ほど、病気で弱
っていく人の現状を受け入れることが難しい。
以前、糖尿病を患った母が左半身麻痺で意識混濁する息
子と同じ部屋で寝泊りしながら看病していた親子がいた。
息子が以前好きだった果物を食べさせようと必死だが、
内臓が受け付けず、すぐに嘔吐してしまう。
【 ああ、息子よ!どうしてこうなってしまったの… 】
と、泣き暮らす日々だった。
高熱でうなされる姿を前に打ちのめされてしまうのだろ
うか。以前元気だった頃の姿と、病に苦しむ姿が相容れ
ないのだろう。
触れることすらできず、嘆き悲しむ人々を多く目にする。
しかし、なかには献身的にケアを行う親族もいる。
○ ユピンの韓国人の夫は2ヶ月に1度やってくる。
妻の体を拭きおむつを換え、好物を持ってきて
一緒に食事をする。
○ ルンは脳に菌も入っていて、メンタルも抱えて
いる。
自力で座ることもできず、おむつの中に手をい
れて傷をさわって悪化させてしまう。
車で20分ほどのところに暮らす姉が週に何日
かやってきては、常に痛みを訴える弟をマッサ
ージする。
お姉さんが来ている時のルンといったら!
普段見せることのない生き生きとした表情で、
口調まではっきりしている。
○ アナン 妻のターイは同様にHIV陽性で寺に
暮らしている。現在は元気でいるため、僧侶の
托鉢チームで仕事をしているが、夜は重症病棟
の狭いベッドで一緒に寝る。
アンナンは、結核菌が脳に入り身体的な障害と
共に意識や記憶にも症状が及んでいる。
座ることも歩くこともできなくなった夫を見て暮らしている。現在は元気でいるため、僧侶の
托鉢チームで仕事をしているが、夜は重症病棟
の狭いベッドで一緒に寝る。
アンナンは、結核菌が脳に入り身体的な障害と
共に意識や記憶にも症状が及んでいる。
【 かわいそうに3歳の子供に戻っちゃって… 】
と献身的に付き添う。
ターイはもともとよく気がつく女性だから、夫
が望む前に手を差し伸べることができるのだが
少しでも妻の姿が見えないと、駄々っ子のよう
に暴れるようになってしまった。
自分の望むことがなされないと全身のた打ち回
って抗議する。
痛みを紛らわすためにも自分に触れて欲しいの
だが、その場を離れると、どうしてもっと触っ
てくれないのかと怒りまくるのだ。
彼の怒りはすさまじかった。
1年ほど服用していた精神病の強い薬をやめた
ばかりだという。反応が激しいのもうなづける。
服用している間の彼の空ろな目と重さが思い出
された。
鎮静剤を打たれてようやく眠ることができるよ
うになったが、手厚い看護の結果、ターイがい
ないと極度の情緒不安定になってしまった。
ターイは、托鉢の仕事が終わるとアナンの介護
にやってくるが、実はその他にも工芸品製作の
内職をしている。
自分が寝る間も惜しんで働く姿に驚いていると、
【 もちろんお寺にいれば3食は支給されるが、
元気をだしてもらうためにも好物を食べさせ
るには一日少なくとも100バーツかかるの。
休んでいたってお金ははいらないもの 】と
いって、幼い頃から家計を助けて働き通しだっ
たと話し始めた。
【 photo by Mr.Huub 】
両方が元気になれる丁度のところを見出せますように☆