2012年8月10日金曜日

【 滞在記10 】 【 2010. 8. 7 ~  8.17 】 



       ● その行為はだれのため?




       ボランティアは、自己満足の行為の塊で、勝手だと思う
       ことがある。それはもちろん自分を含めて。
        無意識的な行為は、時に暴力的でもある。

        お金も貰わずに、わざわざあなたたちのために来ている
        んだ。せっかくやってあげてるんだから、ありがたく受
        け取ればいいのに!
        私の無意識からの言動がそうに語っているときはないだ
        ろうか?



        ある欧米のボランティアの方は、
        おお、かわいそうに…もうすぐで天からのお召しがくる
        から心配しないで、神はあなたと共にあるのよ、と英語
        で話しかけて体にふれる。
        盲目で手足も硬直状態のゴーンは、英語を理解できなか
        ったため、かえって恐怖を感じていたという。

        それもそのはず、あんなに食べることが好きだった食事
        も全く受け付けなくなり、尿道に管を入れての排尿にな
        ってしまった。昨日からは呼吸もあらくなり白目をむい
        ていることさえある。

        隣のベッドのワーンは、二人のちぐはぐなやりとりを面
        白がってけらけら笑いながら、

       【《何いわれてるかさっぱりわからない》って言っている】
        と英語で説明しても、きょとんとするだけ。

       【 やたらとべたべたさわってきて、わからない言葉で話
         しかけられてもうるさいだけ。ほっといてくれってい
         ってるのに!!】

       【 本人はそう言ってるけど、それを伝えたらショックだ
        ろうから言わなかったけどさ!】 と言う。


       (※ 患者さんに話しかけていた方は、とても愛情あふれる
         ボランティア経験豊かな方です☆)



        患者たちもボランティアに遠慮したり気を使っているん
        だと思ったら、なんだかとてつもなく申し訳なく切ない。
        ただでさえしんどいだろうに…



        実は、ボランティアはこの場所には出入りさせてもらっ
        ているだけでもありがたい。
        なぜなら本来は、寺の内部だけでも運営はまわっている
        のだから。
   
        外部からの手は必要としていないと言えなくもない。
        なくてもいいがあってもいい、プラスアルファ。
   
        ただ、患者さんたちは、基本的に外部に対して好意的で
        ウエルカムである。
        自分たちをケアする手が多ければ多いほどいいという傾
        向がありながらも、このようなシチュエーションが起き
        ることも少なくない。



        人事ではない。
        悪気なく人を不快にさせてしまうことって、日常でも多
        々ある。

        この行動は自分の満足のためだけからではないのか?
        自分に問いかけ続けよう、あらためて。
        善意からの行動だからこそ、慎重に注意深く扱うことが
        できたのなら誰もが受け取りやすくせっかくの好意も水
        のあわ。


        《 共感 と 同情 》
        本人がしてほしいこと と 自分がしてあげたいこと
        それは 似て非なるもの








      ● 運命の出会い


        療養中の患者さんがお寺で非陽性者と出会い、共に人生
        を歩むことになったカップルがいる。いままで4組の方
        にお会いしたことがある。


          
               ☆(お寺で働く男性と女性の患者Aさん)
      
      Aさんは20代前半で、まるで元ヤンのようにちょっと
      荒っぽい口の利き方をする、でも甘え上手でキュートな
      女の子。
       現在二人はお寺の外で暮らし、Aさんは動物病院で受付
       の仕事をしているが、そんなにハードでもなく体調の様
       子をみながら働けるそうだ。

       半年近くぶりに再会したAさんは、ちょっとほっそりし
       たけれど随分とおねえさんになったなあという印象だっ
       た。寄り添うふたりはとても穏やかだった。



         
      ☆(タイ人ボランティア女性Bさんと、男性の患者Cさん)

        Bさんは以前は、幼稚園の先生をしていた。
        学生の頃日本語を習っていたといって、日本語で自己
        紹介したり、覚えている言葉を書いてくれた。
        日本にも行ったことがあるという。
   

        二人は寺で出会った。
        Bさんが休暇でボランティアとしてやってきて、出会っ
        た時からお互いに特別なものを感じ、1ヶ月後には、も
        う一緒にいることになった。

        Bさんの周囲からの反対もあり、当初はこのときめきに
        不安もあったけれど、強いつながりを感じ、入籍した。
        ほぼ1年はお寺の外で生活したが、具合が悪くなった時
        に生活することが困難で、お寺に戻ってきた。


        現在はボランティアではなく、お寺のスタッフとして働
        いているBさんからこんなことを聞かれた。

       【 MAMIだったらどうする?もしこの人だ!と思う人
         がこの寺の入所者だったら… 】

        実際にそんな出会いもなく、すぐに答えられない。
        私だったら…正直、悩むだろう。



        そこで、何人かの人が言っていた言葉を思い出す。

       【 この病気だと人を好きになってはいけないの? 】
       【 好きな人といたいと願う事も許されないの? 】



        出会った人が、エイズ発症者だった。
        それが他の病気の場合だってある。
        Bさんからの質問への答えは【 ご縁 】だった。