2014年2月26日水曜日

【 滞在記37 】 【2014. 2.08 ~ 2.09 】






        ● 孤独 

        個室がないところで一人になりたいときは、背をむける
        しかないのだろうか。





        この僧侶は、まわりの人とは交わらずに過ごす。
        会話もほとんどない。
        何か必要なものはありませんか?と聞くと、もうどん
        どん視力がおちていて、そのうち見えなくなるだろう。
        何があってもなくても、もう関係ないよという。
      





        ファイは、ブランコにのりながら、ずっと独り言をいい
        続ける。ただ、ぐるぐると敷地内を早足で歩き、泣きな
        がら怒鳴っていることもある。

        孤独が深いと自分だけの世界にはいってしまい、まわり
        に人がいてもまったく見えない。
        
        本人が求めるのなら、意外と扉はすぐにでもあいて、人
        といることができるのではないだろうか。
        孤独でさえ分かち合うことができるのなら、そのときは
        孤独は孤独ではなくなることができるはず。






        ● ウィライ 

        ウィライが、2週間ほど食べ物をほとんど受け付けなく
        なり、口にするのは飲み物だけになってしまった。
        薬もくだいて飲み物に溶かしてのませる。

        食べられなくなる人は、嘔吐や下痢など、そして舌にカ
        ンジタというカビの一種により、食べ物の味を苦く感じ
        て食欲が落ちるなどが多いが、ウィライの場合は、その
        どれでもない。
        口に食べ物をいれても、むにっと口の外にだして、ただ
        かたくなに、もうたべないの!いらないの!と言い張る
        のだ。

        みるみる間に力がなくなり、もともと小柄だった彼女は
        もっと小さくなってしぼんでしまった。
        いますぐ力つきてしまってもおかしくないというのに、
        全力をふりしぼって、介護人である、ピーブアの名前を
        呼び続ける。





        彼がやってくると手を差し出して、握ってほしいと、麻
        痺のないほうの手を差し出す。昼でも、そして夜も夜通
        しピーブアを呼び続けた。

        そして、沸騰直前のやかんかというばかりの高熱が数日
        続いたあと、とうとう最後のときがやってきた。
        今年で65歳を迎えるはずであった。

        入所して4年ほどの間、親類や家族は一度も会いにこな
        かったが、施設に暮らす人やボランティア、多くの人に
        愛されたウィライだった。彼女がいない病棟は気のせい
        か、しんとしてとても寂しい。

        きっと天国で、恋しくて恋しくてたまらなかった大好き
        なお母さんに再び会えただろう。ご冥福を祈ります☆






        ● 写真 

        多くの方がよろこんでくれるもののひとつは、写真。
        そのため、望んでいる人には、写真をとって、次の訪問
        時に用意してお渡ししている。
        家族の写真や、亡くなった友達やパートナーをいつも目
        にできるようにくくりつけておきたいと、写真たてをの
        ぞむ人もいる。

        




        写真をとられることが大好きな人もいて、ポーズもきま
        ている。





        いなかに預けて育ててもらっている息子たちの写真を
        飾りたいといったメーオ 

       

    


         インは、自分で自分の状態を把握できるように写真
         を撮って欲しいといった。
         ここ数か月具合が悪い状態が続き、体重がいっきに
         減ってしまった。体の左側にでている委縮も強くな
         ってきている。
         そんな状態にあっての、このお願いだった。
         自分のことがわかったら、いよいよだなと腹をくく
         ることができるから…といった。




                 2年前のイン










2014年2月25日火曜日

【 滞在記36 】 【2014. 1.27 ~  1.28 】




        ● 社会と接する場所

        体のバランスがとれていないと靴の消耗が極端に早く、
        片方の靴だけベルトがとれたり、かかとやつま先がすり
        減って、転びやすくなる。
        
        ただバランスが悪いだけでも靴のへりはあるけれど、半
        身に力がはいらず、ひきずって歩くとなると減り方は比
        べ物にならないほど。
        たった1度の転倒が命取りになることもあるため、気を
        つけて靴をよく見るようにしている。

        なるべくちょうどのサイズの確認をして調達し、実際に
        買ってきたものを履いて確認してもらう。
        新しい靴を手にした人は、とても喜んでくれるのだが…






        それでも、その人は何日たっても新しい靴を履かないで
        壊れた靴を履き続け、転ばないようにそろそろと歩いて
        いるのを見かけることがある。

        あれー、確かサイズはちょうどのものを選んだんだけど、
        気にいらなかったのかな?気になってたずねてみる。
        もし気に入らなかったのなら、交換してくるよ!という
        と、その人たちからはほぼ同じ答えがかえってくる。
        
        【新しい靴は気に入ったんだよ。でも、病院に行くとき
        のためにとってあるんだ。ふだん履いちゃったらすぐ古
        びてしまうからね】

        2か月に1度くらい薬を受け取りに行くときのために、
        とっておくのだという。
        その言葉に怒って、【履かないのなら他の人にあげてし
        まうよ!】といった欧米からのボランティアの人がいた。

        【転倒してうちどころが悪くて具合が悪くなる人もいる
        から、どうぞ気をつけてください。古びてすり減るまえ
        にまた新しく用意するから安心してはいてくださいね】
        というと、ようやく新しいものを使ってくれる人もいる
        が、それでもかたくなに古いものを手離そうとしない人
        もいる。

        病院は、唯一の社会とふれる場所。特別なのだ。
        






        ● パットム 

        エイズ脳症で左半身が麻痺して寝たきりになって、寺に
        やってきた。
        
        入所当時は、寺にいることに憤りを隠せないでいるよう
        だった。【本当は、俺はこんなところにいるような立場
        ではないんだ。すぐに家に帰るんだ。】というのが口癖
        だった。

        高価な空気清浄機をベッドの横に置き、氷をキープする
        ための大きなクーラーボックスをもってきた。
        食堂で用意される食事を口にあわないといい、ほぼ毎日
        市場からおかずを購入している。
  
        バンコク生まれのバンコク育ち。
        ファミリーでビジネスを営んでおり、兄弟がそれぞれに
        会社の社長を経営していて、彼は警備会社を持っていて、
        現在はお兄さんが弟のかわりにみているという。

        ただただ憤慨し、まわりの人を罵倒するだけの時間も続
        いたが、家に帰るためには何とか元気にならなくては!
        と、リハビリに励んだ。

        マシーンを使い、少しづつ動かすことができるようにな
        ると、朝と夕方とそれぞれゆっくりと1時間くらいかけ
        ての歩行訓練をスタートした。はじめは4つ足の支えを
        つかっていたが、今では片手の杖にかわった。





        入所1年ほどで容体も安定し、寝込むこともなくなった
        が、今度は、ぱたっと【もう、すぐにでも家にかえる
        と、言わなくなった。
        となりのベッドの人が【家族が、もうおまえの帰ってく
        るところはないんだよって言われたんだよ】と、言う。
        
        また以前と同じ生活をするという、生きがいがなくなっ
        てしまったパットム。
        もうすっかりあきらめていた頃、ようやく家族から帰っ
        てきてもいいよと連絡があった。
        寺で過ごした2年を経て家に戻った彼は、今頃どうして
        いるのだろう






        ● おくりもの 


        身よりがなくて寺にやってくる方々もいるが、貧困や
        面倒をみることが困難でギブアップした家族により預
        けられる人もいる。

        寺で手に入る生活用品や保存食、また、慰問者が渡す
        金銭や物資を大荷物で家に送る人がいる。





        自分が十分に持っていなくても(どれほどあれば十分
        なのかは人それぞれなのだが…)施しをする機会があ
        れば、自分のできる範囲で喜捨するという考えの人も
        多く、確かに多くの得を積んでいらっしゃる方もいる。

        上記の、家に贈り物をする人は、仕事もできなくなり、
        ただ家で面倒をかけるだけの存在となり、寺に預ける
        ことで実質的な厄介払いとなることもある。
        
        厄介払いをしたはずが、寺に行って物資を送ってくる
        ようになると、全く面倒を見ようとしなかった家族が、
        急にてのひらを返したようにやさしくなり、何度も家
        に帰るようになった。

        その度に、たくさんの手土産を運んだのは言うまでも
        ない。その人は、自分のものだけでは足りず、病棟の
        人や倉庫から物やお金を盗むようになってしまった。