2013年1月29日火曜日

【 滞在記28 】 【2013.01.20 ~ 01.29 】



      ● サナン
         


        サナンは、65歳。寺にきて4年になるが、痴呆症が
        どんどん進行してきていた。
        ごはんを食べることと、DVDを見ることは日課であり
        決して忘れることはない。まわりの人のことも認識で
        きる。
        
        けれど、シーツや枕カバー、毛布を替えること、シャ
        ワーをすること、髪やヒゲを剃ることを全く受け入れ
        なくなってしまった。そこはもともと気にならないら
        しく、以前からシャワーを嫌がっていたが、それでも
        看護婦長から言われれば仕方なしに受け入れるという
        様子だった。

        それが、誰が言おうとも全く耳をかさなくなってしま
        った。ただでさえ脂性で加齢臭が強いものだから、彼
        のいる半径1メートルでは、まるで野生の動物のよう
        な臭いがするようになり、服も着たきりでおむつ替え
        も一苦労。
        みんな、目にしみるぅ~とか、鼻につんとくるよ、と
        言うのだが、本人は全く気にせず、着替えさせよう
        とすると全力で拒否する。彼は背が高くて骨太だし、
           力が強くて誰も太刀打ちできない。
     
        近くの売店におやつを買いに行くのもサナンの日課。
        大好物のさとうきびジュースを飲み、歩きながら魚の
        揚げボールを口にほおりこんだ。噛まないで飲み込ん
        だのか、揚げボールが喉につまってしまった。

        息ができないまま重症病棟をさまようところを、数人
        で押さえて背中をたたいて喉につまったものを吐かせ
        ようとしたが、びくともしない。
        他に方法がなく、近くの病院に運ぶことにしたが、車
        の中で命つきてしまった。2013年1月2日のこと
        である。

        マッサージされることが大好きすぎてボランティアの
        あとをついてまわっていたサナンがもういないなんて。
        しばらくの間は、魚の揚げボールを喉につまらせて、
        目を白黒させるギャグが流行っていた。最初こういう
        タイ人のギャグセンスに驚いてひいていたが、何でも
        笑いにしてしまうって、最強?だなと思うこともあっ
        たりして。





      

      ● 温水器
      
        
        日本と比較するとタイでは公の概念が薄いこともあっ
        て、大勢で使うものは消耗が激しいというか、扱いが
        荒い。
        温水器を設置して1年になるが、気温が下がり肌寒く
        なる時期に故障してしまっていた。

        電源は入るのに、温水がでない。しかもちょろちょろ…
        寺の中で使う水は、独自の浄水システムを使うため、
        カルシウム分が多くて管の中で石化してしまい、つま
        りやすいというどうにも変えようのない故障の原因が
        発覚。水が少ししか流ないと、温水がつくられる部分
        がスイッチが入らないつくりになっているのだそうだ。

        何かいい方法はないですか?と聞くと、兄さんがつぶ
        やいた。汲み上げポンプがあると何とかなるんだけど。
        え、そうなの?
        日本のNPO法人GINA http://www.npo-gina.org/
        より患者さんのため使うようにお預かりしている資金
        を使わせていただくことにする。
        おかげさまで、水シャワーが厳しい寒くなる時期にな
        んとか間に合いました~。




1台は内部の電線を強化、1台はシャワーヘッドに問題あり



水を貯めておくいれもの
もともとブルーの容器が真っ白!
故障の原因の石化したカルシウム分が層になっている



  左下の黄色いのが、水圧をあげるポンプ。
赤いシャツのお兄さん(寺のスタッフ)と白いシャツのお兄さん(患者さん)は、
大抵のものはちょちょっと修理してしまえる最強のコンビ!
丁寧な仕事と手際のよさには頭がさがります_(._.)_ 





      ● インヤイ いまはどこに?
        

        インヤイは、ドラッグのまわしうちでHIVに感染したそうだ。
        寺に入所した当初は、がりがりに痩せて寝たきり。おかゆも
        喉に通らない状態だった。
        人懐っこくて気前のいい彼は、友達も大勢いたが、せっかく
        具合がよくなったけれど、またドラッグとタバコが手放せな
        くなってしまった。
        
        帰る場所がないので、罰としてセカンドプロジェクトに移動
        になったのだが、空気のいいところで運動しながら瞑想する
        うちに、守衛として仕事もできるようになった。
        うまく回らなかった舌もなめらかになり、みちがえるように
        に健全になったようだ。
    
        罰として移動した人としては異例のことだが、また寺のほう
        に戻ってこれるようになったのは、ちょうど1年前のこと。
      【 もう一生ここで暮らすから今度はまじめにやるよ~ 】と
        言っていたのだが…それから10ヶ月後、インヤイは突然姿
        を消した。

        暮らしていた部屋の荷物もそのままで、看護師に預けてある
        お金も持たずに着の身着のまま居なくなってしまった。
        電話も全くつながらず、友人も首をかしげるばかり。
        もちろん、薬も持っていない。タイではかかりつけの病院を
        ひとつに絞るため、他の病院では治療を受けることも薬をだ
        してもらうこともできない。       
        
      【 バイクタクシーの運転手でもすれば、その日暮らしはできる
        だろうけど、薬がなかったら、もう野垂れ死ぬしかない 】
        と、彼の友人は言う。

        連絡の取りようもなく、何もできず、歯がゆい思いをしてい
        たが、蒸発?して1ヶ月後にインヤイが突然寺に戻ってきた。
        ろれつが回らず、何をしゃべっているのか分からない状態に
        なってしまっていたそうだ。
        そして、数時間したらまたどこかに行ってしまった。
        どこにいたのか、どうして出て行ったのか、なんで一度戻っ
        てきてまた出ていったのか、誰もわからないまま。
        いまインヤイはどこにいるのだろう?        



守衛の仕事ができて本当に嬉しい♪ 誇りに思う。
できることなら、亡くなったお母さんに
この姿を見せたかったそうだ。
        





      ● ヌン
           

        ヌンは盲目になってから何年たったのだろう、本人も
        覚えていない。寺にやってきた時には右半身に硬直が
        あり、もう目が見えなかった。

        音楽が大好きなヌンは、コミュニケーションの達人で、
        周りに人が集まってくる。
        乱暴な扱いをする人もいて、目が見えない状態でいき
        なり体をつかまれたらびっくりするだろうに、ちょっ
        かいだされても一緒に笑ってしまえるのがヌン。
        そんな彼の笑顔に、一緒にいる人は癒されてしまう。



 AJINOMOTOの慰問
ポピュラーな曲を選んでくれているおかげで、みんなで大合唱♬
一時間以上も歌って踊って楽しませてくれた上に、
ヤムヤムのやきそばのおやつまで用意してくれ、
かゆいところに手の届く心のこもった励ましであった。



ヌンも拳をかかげて大喜び♥


(photo from Wat Phrabatnampu)

慰問にやってきたカラバオ
 ※  活動歴30年を越す大御所ロックバンド
タイ国では知らないものはいない

(video from Huub)

カラバオのコンサートを楽しんだのは言うまでもないが、
カラバオの前座を務めたバンドの演奏中に涙したヌン。
なんとも言い表せないけれど、胸がいっぱいになってしまった。
【何か】をもっているヌンなのだ。










2013年1月25日金曜日

【 滞在記27 】 【2012.12.07 ~ 12.16 】



       ● パバナプ寺20年周年記念兼アロンコット師誕生日


        パバナプ寺が開設してちょうど20年がたった。
        12月9日はアロンコット師の誕生日に盛大にお祝い
        の場が設けられた。

        当初は特にエイズ患者を受け入れるための寺だった訳
        ではない。どこにも居場所のない患者を目のあたりに
        した師が、お堂に簡易ベッドを設置して患者の看護を
        したのがはじまりだという。
        今は協力体制にある病院にも、近隣の人々からも大反
        対を受けて村八分状態。どこに托鉢に出向いても誰か
        らも見向きもされなかっただけでなく、ずいぶん嫌が
        らせを受けたのだそうだ

        それが今ではタイでは知らぬ人がいないくらいの有名
        な寺になり、ロッブリーだけでなく、タイのあちこち
        から大勢の信者がお祝いに駆けつけるようになった。
        普段から寺にやってくる数百人の参拝客は見慣れてい
        るが、すれ違うこともままならない程の混雑は、8年
        勤務するスタッフも初めてのことだという。(この日
        の来客は2000人を超えるとも)
       
        誰がなんと言おうと、信じたことをやり続けることが
        どれだけパワフルなことか!
        人々の中に根ざす奥深い差別と偏見の問題は未だ解決
        したわけではないが、不可能なんてないと思える、何
        とも感慨深い日であった。              


                寺へ続く道にたつお祭りの案内看板

人がたくさん集まるところには
どこにもやってくる宝くじ売りが早朝から門前にやってきた

朝8時前から老若男女でごったがえす園内

思い思いのごちそうの屋台が100店ほど並ぶ
全部無料の食べ放題!
人気の屋台には長い行列ができ、売り切れ続出

(photo from Wat Phrabatnampu)
アロンコット師も分刻みのスケジュールをこなす  

 お祝いのお布施

ゲームに妖精セットをプレゼント
ピンクがお気に入り♪

 一年ほど前に義理の母の田舎に引っ越したアームも
ファミリーでお祝いに駆けつけた。
以前寺に滞在していた人々の懐かしい顔も多くみられた 

手に手に大きな袋、主には生活必需品だというが、
なかには扇風機をもって帰る人もいたり~
1回20バーツのくじびきは大人気!!

中国風の獅子舞
奉納する人がお供え物を置くと、
獅子が踊りながら受け取ってくれる

夜の部は、寺の門のすぐ横の広大な空き地に会場を設営し、
コンサート、コメディショー、盛大なうちあげ花火、
最後はコムローイ(灯籠飛ばし)で締めとなった






      ● 一番のくすり♥


        故郷から離れて寺で暮らす患者にとって、何よりも
        一番の薬といえば、やっぱり家族のお見舞いに違い
        ない。もう何日も前からそわそわして、落ち着かな
        い様子で夜も眠れない。
        CD4の値もあがっちゃうに違いない♪


 バンコクに住むサルワイの自慢の娘たち。
左半身に麻痺のある父の洗濯物が、ちゃんと区別がつくように
名前を刺繍した洋服を用意してくる

タイの南部からほぼ1日かけてやってくる妻と息子に
守衛の仕事をするソムチャイ。
長い学校の休みを首を長くして待っている。
家族で寺の中で暮らすことも考えてはいるが、まだ決心がつかない

バンの育ての親がやってきた。
刑務所で8年過ごしたあとに寺にやってきたバンを
【 この子はねえ、小さい頃からほんと寂しがり屋だったんだよ。
寂しい時はなぜか体を掻くの。おかあさんもよく背中掻いてあげたね。
ほら、よく眠れるように掻いてあげるよ 】といって愛しそうに息子を抱き寄せた。
つい、ふだん憎まれ口をたたくことが多いバンも、子猫のようになってしまう。





        
      ● 偽おしっこ 


        おむつを替えてくれと呼ばれるのがやけに頻繁で、
        しかもおむつの濡れ方もなーんか違う…なんだか
        わからないけど、違和感があった。
        においも色もないような…

        ナレーは、ものすごく涙もろくなっている。
        バンコクにいる家族がもう愛想をつかして、電話
        にも出ないのだそうだ。

        最初から左目には白内障が見られたが、目に菌が
        はいり、まるで魚の胃袋のようなものが目から飛
        び出し、膿がでてくるようになった。
        近くの病院で見てもらったら、手術したほうがい
        いというのだが、そのためにはバンコクで家族の
        サポートを受けることが必要になる。
        その知らせを聞いた家族はそんなことはしなくて
        いいから、ほっといてくれと言うのだそうだ。

        おむつの違和感は、結局ナレーがペットボトルの
        水をおむつにじゃーっとやっているところを見て
        しまったことで解決した。
        【 どうして? 】と聞くと【 わからない 】
        と言う。何も言えなかった。

        
 痛みを感じないのは不幸中の幸いでしょうか。
ふだんはガーゼでおおっているのだが、
気になって触ってとってしまう。
        

左半身は力が入らず寝たきりだったが、車椅子にも自力で乗れるようになった。
そして、この数日はベッドの周りの手すりをつかまりながら歩行訓練をスタート。
無理のない程度の運動だが、顔色はすこぶるよくなった。
半身不随であってもというか、だからこそ、可能な限りの運動はとても重要なのだ。






      ● 朗読のお手伝い



        

         職業訓練期間にやってくる学生さんたち。
         視力がわずかしかなくなってしまったタックに
         本を朗読する。

         学生さんたちが帰ったあとタックがいった。
       【 ほんとはさー、あの読んでくれた本に興味があ
         るわけじゃないけど、自分のためにそんな風に
         してくれるってこと自体うれしいよね 】







2013年1月24日木曜日

【 滞在記26 】 【2012.10.27 ~ 11.06 】 

      

      ● 4年目


        はじめてパバナプ寺を訪れて丸3年がたった。
        施設の中は多くの場所がリノベーションされた。

        重症病棟にいる患者の様子にも変化がある。
        以前は、症状が悪化するとそのまま亡くなる方が
        もっと多かった。
        栄養状態や進歩した薬品によるものなのか。
        ただ、その結果、障害が残った状態で生きていく
        ことになった。他の慢性病とかわりないといえる
        時期が長くなったのだ。
        いまや【エイズ=死】ではないということを実感
        している。

        ただ、その分、薬の副作用やアレルギー反応、神
        経系統に影響がでて麻痺や硬直、震えや盲目とい
        った症状があらわれ、中には、高血圧、癌や糖尿
        病、欝などの精神病を同時に抱えることも少なく
        ない。


       ★2012年10月現在 
        重症病棟で過ごす患者30人の状態

        ○半身不随などの障害があり、自立歩行可能 (12名)
         うち、自力で車椅子の乗降が可能 3名 
        ○半身不随などの障害があるが、自立歩行可能 (8名)
        ○エイズ脳症の後遺症による盲目 (5名)
        ○エイズ脳症の後遺症による痴呆症(1名)
        ○薬品不適応でアレルギー反応 全身の皮膚剥離(1名)
        ○食物を受け付けず、栄養食なども嘔吐 (3名)
        ○結核 (5名)

        このなかで半身不随の26名の滞在年数は、
        6年以上…3名
        4年以上…2名
        3年以上…1名
        2年以上…4名
        1年以上…3名 
        なんと10名が2年以上も重症病棟で過ごしている。
        
        本来重症病棟では、症状が落ち着いて自分の身の回
        りのことができれば軽症病棟に移動できるが、障害
        があって車椅子が必要な状態では、たとえ症状が落
        ち着いて内臓に問題がなくても軽症病棟に移すこと
        はできない。

        パバナプ寺はHIV陽性者を受け入れていることで、
        タイ人が知らない人がいない程有名な場所なため、
        入所を望む人が列をなしているのだが、なかなか
        空きなく順番待ちのまま亡くなる人も少なくない。


          


        寺で過ごす患者は、
      【 寺に捨てられてなんと悲惨な… 】と、哀れまれ
        ているのだが、実は病院よりも手厚いケアを受け
        られているということを知っている人は【 寺に
        入れてなんとラッキーだ☆ 】という。
        生きられる時間が延びた分、悲劇だとも、また、
        そして、希望だともいう。    






      ● 僕の希望
        エイズ末期の少年のスピーチ
        国際エイズ会議の開会セレモニーにて
        (2000年 南アフリカ・ダーバン)

      
           
       
       こんにちは。僕の名前はンコシ・ジョンソンです。
       僕は11歳で、末期のエイズ患者です。
       2歳の頃、HIVに感染した人々やエイズ患者の為の
       ケア・センターで暮らし始めました。

       お母さんは、僕らがHIVに感染している事が知られて、
       住んでいる地域から追い出される事を、とても恐れて
       いました。
       お母さんは、僕が小学校に入学する前に死んでしまい
       ました。お母さんの事がとても恋しいです。

       ママは棺の中で目を閉じていました。
       やがて棺が墓穴に納められ、土がかぶせられました。
       それから時間が経つうちに、いろいろなことを忘れて
       しまったけれど、ママが生きていれよかったのに、
       思います。
       でもママは天国にいるはずです。
       そして肩越しに、ぼくを見守り、ぼくの心の中を見て
       いるんです。
       エイズになったことが悔しいです。
       だってすごく苦しい病気だから。
       
       それに、他の子供たちや赤ん坊がエイズになっている
       ことを思うと泣きたくなります。
       僕は、とっても体の調子が悪い時やエイズの赤ちゃん
       や子供達のを考える時、自分がエイズ患者である事
       がとても嫌になる事があります。

       政府は、妊娠しているHIV感染者のお母さん達が赤ち
       ゃんにエイズイルスを感染しないようにする為の薬
       をお母さん達にあげれば良いのにと思います。
        
       赤ちゃんはあっと言う間に死んでしまいます。
       お母さんに見捨てられて、僕達と一緒に暮らしていた
       ミッキーとい赤ちゃんがいました。
       彼はある日、息が出来なくなり、食べる事も出来なく
       なってしまい、病院に行く前に死んでしまいました。
       ミッキーは、とっても小さく可愛い赤ちゃんでした。
       
       もう赤ちゃんたちに死んで欲しくない。
       お母さんと赤ちゃんが愛情に包まれて一緒に暮らす事
       が出来たら、お母さん達も、もっと長生き出来ると
       は思っています。
       そうやって、赤ん坊がもう感染しなくなればいいのに、
       と願っています。

       僕が大人になったら、世界中のもっともっと多くの人
       達に、エイズの真実について伝えたいと思っています。
       世界中の人達がエイズを予防出来るようになってHIV
       と共に生きる人々や、エイズ患者に対しても敬意を持
       って接して欲しいと思ってます。

       ぼくたちだって、おなじなんです。
       ぼくたちだって、何も変わりません。
       みんな、1つの家族なんです。
       ぼくたちも、人を愛し、笑い、傷つき、泣き、生き、
       そして死ぬんです。
       ぼくたちの面倒を見てください。
       ぼくたちを拒まないでください。
        
       HIV感染している人に触れても、抱きしめても、キス
       しても、手を握っても感染しないのですから。

       僕たちの事をもっと愛して、そして受け入れて下さい。
       僕たちも普通の人間で、手もあり、足もあり、歩くこと
       だって、話すことだって出来るし、みなさんと同じよう
       に欲しいものだってあるんです。
       僕たちの事を怖がらないでほしい。
       僕たちもみんな同じ人間だから。
        

       こちらは当時11歳の男の子が行ったスピーチの抜粋です。
       彼は生まれた時にはすでにHIV患者でした。
       HIV/AIDSの偏見や誤解に立ち向かうため、幼いころから
       様々なイベントで訴えかけ、世界最年少のHIV/AIDS活動
       家として知られていましたが、このスピーチを行った数カ
       月後に12歳で亡くなりました。
       彼の魂の叫びが聞こえますか。        
       どうか、彼の願いが叶いますように☆






     ● 少年院 更生プログラム


       これがタイならではのプログラムなのかはわからない。
       ティーンエイジャーの犯罪者は、少年院に収容されるが、
       更生プログラムの一部として、3週間仏門に入り、寺で
       少年僧として過ごすというものがある。

       托鉢に出かけ、仏教の勉強や読経、施設内の掃除や整備
       の他に、パバナプ寺ならではだが、重症病棟で患者との
       コミュニケーションやマッサージがある。
       最初はスケジュールにはいっていたカリキュラムだが、
       滞在が長くなるうち、休み時間や一日の予定が終了して
       から自発的に患者のもとを訪れ、マッサージに励む姿が
       みられた。


       
             少年僧の4ハンドマッサージ!
ご満悦のポン


       日程も、ほぼあと仏教のテストを残すだけという頃に
       なって、話を聞いてみた。

     【 ここに来るまでは、エイズの患者に会ったこともなか
       ったし、まして大勢の患者が暮らす寺で長期間過ごす
       ことになるなんて夢にも思っていなかった。
       正直いって、ものすごく怖かったし嫌だなあと思った。
       こんなことになるんだったら、もっとちゃんとしてい
       ればよかったなと後悔もした。
       それが、来てみたら、みんな近所にいる人のようで、
       そう単に感染する病気じゃないんだってこともわか
       った。これはここにいて様子をみていたからわかった
       ことだと思う。寺を出るときには、きっとさみしい気
       持ちになるんじゃないかと思う。 】

       一緒にいるだけで、患者さんは元気になっちゃうとこ
       ろあるもんね、といったら、【 きっとまた会いにく
       るし、お寺にもお参りしたい 】と言っていた。



             一般人に戻った初日 (右は指導員)
       ふとした時には、まだあどけなさが残る表情が垣間見える。

          
       



      ● はさみ大活躍!

        
        障害が残る人々は、驚くほどに手や指の力が弱く、今
        まで何てことなくやっていたことができなくなってし
        まっている。

        ドアノブをまわして扉を開けることやジュースのパッ
        クにストローを挿すこと。爪切りも自分では、爪が切
        れるまで押せない。
        おかしやキャンディーの包装をあけることも、思いの
        ほか力がいるのだそうだ。【 これ開けて! 】と、
        頼まれることも多い。




        もしかしたら使えるかな~?
        小さめのはさみを使って試してみると、これが意外と
        好評で何人かから私にもちょうだい!と手があがった。
        
        障害がある方用のグッズを探してみたら、何か参考に
        なるものがあるかもしれない♪
        もともと自分で出来たことを、多少の手間がかかるに
        せよ、やりたい時に出来るのが一番いいだろう。
        まずは、何とか自分で自分のことをやれるように考え
        てのサポートを心がけたい。