2012年8月9日木曜日

【 滞在記 1 】 【 2009. 9. 9 ~  9.15 】

 
 ● 行きは、バンコク モーチットマイからの長距離バスでは
    (98バーツ)停車箇所が多く3時間かかった。帰りはミニ
    バス(110バーツ)にしてみると、バンコク 戦勝記念塔
      までが2時間足らず。
     ロッブリー20時発の最終便、雨季おわりの嵐の中でも、
     ノンストップでつっ走る。ちょっとヒヤヒヤ~。



   ● 遺跡があちらこちらに点在している。
     ロッブリーは、12月頃咲く畑一面のひまわりでも有名。
     ここでのお土産は、ひまわりの種入りクッキーか猿の置物。

 

 
   ● ネットからの情報だけで訪問したため、ボランティアが宿泊
     したという AsiaHotel Lopburi(エアコン 350B)に1泊
     したが、案内されたのは鍵が壊れてかからない部屋で、変更
     してもらった部屋も埃っぽくすえたニオイの部屋で蚊やアリ
     の大群に悩まされた。

     Lopburi Inn(1泊600B)にも宿泊したが、古くさいホテル
     で何もいわなければシーツも換えないシステム?虫はいなか
     ったが、ヤモリのカップル発見!





   ● パバナプ寺は、1979年10月4日にエイズホスピスとし
     て活動を開始。敷地は8万平方メートル。
     家族や社会からも見放されて行き場を無くしたHIV陽性者
     は、お寺に救いを求めたのだそうだ。
     エイズホスピスとして世界一の規模とも称されているとか。

   ● ボランティアは基本的に寺の外に宿泊することになる。
     寺はゲストハウスからバイクタクシーで20分ほど。

   ● バンコクから2時間とはいえ、かなり郊外にきた感じがある。
     この街にはタクシーがないため、バス、乗り合いバスやバイ
     クタクシーが足になる。大人数ならハイヤーも交渉次第でお
     トクだったりします。










   ● ゲートにいる警備員も働けるようになった入所者が受け持
     つ重要な仕事である。8時間の3交代制で24時間体制。




  ● ゲートをはいってすぐ左手の建物は葬儀を行う場所。
     奥には現役の火葬場があるが、以前一日に十数体もの火葬
     が必要だった時代に使われていた火葬炉が少し離れた場所
     にあります。
     しかし現在は1機でまかなえるため、遺跡のように見学者
     を迎えるだけになっている。



   ● 私のボランティア初日は、その日に亡くなられた2名のお葬
     式かスタートすることとなりました。
     身寄りのない男性と、もうひとりは女性で恋人と友人が参列
     されていた。お世話になりましたと頭を下げられたので私は
     まだお会いしたことがありませんでしたと言うと、それなの
     に参列してもらえるだなんてと更に頭をさげられた。
     こちらも恐縮しながらも、タイスタイルの葬儀初体験。


   ● 隣の男性は、オランダ人のボランティアのHuubさん。
     10年間ここを訪れていて、今年は3ヶ月間滞在されている
     という。【 ここはとても特別な場所だよ 】と言われて
     たのが印象的であった。


 
   ● 3~400人収容できる照明や音響も整った講堂。
     HIV陽性者で結成したバンドのライブも行われていて、
     入所者がドレスアップして舞台にでて歌やダンスのショー
     も、訪問者に啓蒙活動の一環としての披露されている。

     日曜日には、野外簡易ステージでカラオケショー?
     歩行者天国っぽくて人がいっぱい。
     重症病棟のベッドにいる患者さんに、聞いてみた。
     いつもこうなの?うるさすぎじゃない?というと、うん、
     まあ、もう慣れたよ~という。
     賑やかなことが好きな人々もいて、寂しくないから好き!
     という声もあった。





   ● 連日、大型バスで何台も連なって多くの学生達が社会科見学
     ツアーに訪れる。このときは小学生のグループ。瞑想用の階
     段をダッシュでかけあがって競争!この年齢でHIVのこと
     理解できるのかな?でも、遠足ってそんなものか!?あとで
     なるほど~!と思い返したりする。


   ● 軽症者の方の住むバンガロー。
     家族用の少し広いタイプもある。



  ● こちらも軽症者の方、スタッフ、
    タイ人ボランティア用平屋建てのコテージ。


   ● 洗濯物干し場。囲いで仕切りがある。
 

    ● 重症病棟 (通称 ワライラック)
      通称名ワライラックとは、現国王の第三王女の愛称である
      が、この名前を名称にできる特別な許可がいただけるのは
      大変な名誉なことだという。



   ● ヴィッパサーナ瞑想のための、山の上まで続く長い階段
     を更に建築中。




    ● 【 ブッダのファーストステップ 】
      このお寺の名前の由来にもなっている、大事な場所。
      タイ語でプラバ=足跡を、ナンプ=噴水を意味する。




    ● 施設は、教育目的で見学できるようになっており、患者や
      家族の承諾の下に、ご遺体や体の一部を博物館で展示して
      いる。




    ● ライフミュージアムの展示。
      生前の写真やプロフィールがそえてあるものもある。
      室内には仏教的な教えが書いたプレートがあり、ミイラは
      生命ある【 今に生きる 】ことの大切さを示していると
      いう。




   ● まるで今にもおきあがりそうにきれいなミイラもある。
     博物館にある17体の遺体は病院で大腿部を切開し、血管
     にホルマリンを注入後、縫合して保存されている。
     遺体の生前の体調にもよるそうだが、管理が悪く、大半は
     かびがはえ、水がでてきても放置されている。


  
   ● 施設内にはアート的なものが多いが、患者の遺骨を粉末状
     にして樹脂と混ぜて固めて作られている!!

     最初目にしたときは、ちょっとした衝撃だったが、これら
     の像は、仏教に根ざす教えや、ひとつの家族の中で信頼と
     誠実を分かち合いながら共に暮らすカップルや夫婦のあり
     方を示しているそうだ。



 
   ● タイのお寺ではよく見られる光景だが、敷地内には犬や猫
     が多い。ペットとして飼われていたり、寺に住みついてい
     るものもいる。こちらは牛もようの6匹が生まれたばかり。




   ● 半野良状態の犬や猫が病棟にも自由に出入りしている。
     中にはあっちいけ!と追い払う人もいるが、大抵は受け入
     れているようで、食事の食べ残しをあげたり、ベッドでな
     でていたりする。

     免疫の下がっている状態の人は皮膚も弱く傷つきやすい。
     ちょっとしたことが命取りにもなりかねない状況の中で、
     確かに衛生的には…?であったとしてもここでは日常の
     風景。

     ほんとうは、みんな知っている。
     動物の毛が病気によくないことも衛生的にも問題があ
     ことも。
     それでも、犬や猫を抱いたりなでている姿を目にすると、
     動物のぬくもりには他では得がたいものがあるようだ。






  ● 軽症者用4階建ての病棟 (通称 メータータム)
     1階 展示スペース
     2階 診察室、ミーティングルーム、エクササイズルーム
     3階 看護士さん及びスタッフ個室
     4階 大部屋と診察室 どこも風通しがよく明るい




 
  ● ミスインターナショナルや多くの各界の有名人が寄付に
    訪れている。



    ● 薪でご遺体を焼いていた頃は、火力が弱くて焼ききること
      ができない為、やむなく骨を砕く機器を使っていたという。

      こちらは、引き取り手のない遺骨を安置してあるお堂。
      仏教の大切な日には、僧侶が読経を捧げている。



   ● 盲目の方も手をひいてもらっての散歩が日課となっている。
     障害があり歩行困難な場合でも、歩行器などを使ってなる
     べく運動するように心がけている。


    ● スタッフのように患者の面倒を見ている人も、同様に患者
      だったりする。
      比較的体力の戻った軽症の人は、場内の掃除や警備、病棟
      内での重症者のケ(買い物や食事の介助やシャワーの手
      伝いなど)を手伝う。



    ● 訪問者はお寺にお金を寄付するだけでなく、ひとりひとり
      に、お菓子や飲み物を渡していく人もいる。
      見学者が重なることもあり、ベッドの上が頂き物であふれ
      ると、大きな袋に集めて他の病棟にも配る。

    ● 他にはヤードムや服、毛布やタオル、雑誌、お米や保存で
      きる食料の大量な寄付もある。

    ● 様々なメディアの訪問も多く、ちょうどこの頃も香港の
      映画スターが取材でみえていた。




    ● 袋菓子やジュースなど腐るものではないが、こんなにいっ
      ぱいあってどうするんだろう?と思っていたが、マッサー
      ジをおえた後に【 ありがとう!これのんでね♪ 】と、
      渡してくれる人もいる。

      【 せっかくもらったんだし気にしなくていいんだよ~、
        気持ちだけもらっとくね 】 というと、寂しそうな
      顔で【 お礼として受け取って!ありがとう♪ 】という。
      それからはありがたくいただくことにした。


    ● 時には現金を渡していかれる場合もある。
      ボランティアにも【 ありがとう~! 】の言葉と一緒に
      渡していかれる方も。とてもうれしかった。





    ● TVや雑誌などの報道でこの寺を知り、家族がケアでき
      ずに連れてきたり、病気への偏見から放置することも。
      病院からの紹介で来ることになった人もいる。

      簡単な仕切りで数人に区切られた33人の重症者病棟に
      は、部屋の真ん中にナースステーションがある。

      医師の往診は私が滞在していた1週間のうち1日。
      酸素吸入や点滴などは必要時だけ。
      痛みの緩和薬などは特に使用されていないようだ。
      急な症状がでた時は、車で10分ほどの病院を訪れる。

    ● 沢山の方が過ごしているスペースなのに病人特有の臭い
      がそれほどこもっていない。
      特に消臭剤を使っていないのに、消毒液、排泄物、死臭
      ともに最小限なのは、平屋建てで風通しがよいからだろ
      うか。
    
    ● 重症者病棟では、マスクもゴム手袋も二重につけるよう
      にいわれた。
      エイズ自体が接触によって感染することはないけれど、
      抵抗力や免疫が下がって、皮膚に症状がでていることも
      ある。それと、外部から入ってきた人が運ぶ菌を患者に
      うつさないためでもある。

   ● 手をとって話しかけるとぎゅーっとにぎにぎマッサージ           してくれる。 【 あー、気持ちいい! 】 というと、          もっともっと力をいれて押してくれる。
     ぬくもりでゆるむ瞬間。



   ● ふがふがしゃべるので、よくわからない。
     よーく聞いてみると【 100バーツちょうだいよ~ 】
     と言ってた。
     お金はないというと、ベッドをばんばん叩いて悪態をつく。
     マッサージしても、もっともっとと駄々をこねてすねる。
     にくらしいけど、なんかかわいい。

 
    ● 子供や家族の写真をみせながら身の上話に花がさく。
     【 なんで恋人いないの?タイ人はきらい? 】私にも
      何度も聞いてくる。
      まじめな顔で【 歳とったら子供いないと寂しいから
      これからでも産んだ方がいいよ!】という。
      親戚の人と話してるみたいだった。
      
      写真をとる前に【 ちょっと待って粉はたかなきゃ!】
      ちょっとおすまししてパチリ。ヌイさん本人もお気に
      入りの一枚がとれたが、実はこの頃徐々に視力が失わ
      れていて、この日を境に携帯のボタンも読めなくなっ
      てしまった。




    ● ストレスからなのか、毒舌をはく人。
      いつもわがままばかりいう子が【 家が恋しいなあ 】
      というと【 おまえの家は地獄だろ!地獄に帰れ~!】
      と言いながら数人でからかっていたり【 あいつさ、
      うんこまみれで汚いから近くによらないほうがいいよ
      ばい菌うつっちゃうから 】と真剣に言う人も同様に
      おむつ着用中だったりする。自分より状況が下に見え
      る人をみて安心する。ここでも社会の縮図が。


    ● プライバシーは、はっきりいってないに等しい。
      かといって、自分たちに向けられる視線を避けようと
      しているようでもない。あきらめもある。それでも自
      分の他にも同じ状況の人が周りにいる安心感なのか、
      なんだか大きな家族のような雰囲気がある。
      これは、さみしがりやのタイ人ならではの気質なのか
      は謎である。


     【 ゆうべ寝れなかったんだって、マッサージ、私より
       前にしてあげて 】 なんて、自分も調子が悪くて
       動けないというのに…

       思いやりや優しさ、精神的な強さはもともとのもの
       なのか?それとも病気と共に生きる中で育ったのか。





    ● 彼はとても人恋しいらしく、手を握って離さないこと
      もしばしばだった。ヨーロッパからきたボランティア
      の人は胸をつかまれたというが、いやらしい感じより
      むしろ、赤ん坊がえりをした人のようだった。
 

 

    ● ボランティアの仕事は、こうしないとならないことは
      何ひとつない。実際現地に来てみて何もしない人もい
      るが、何かを強制されることはない。自分でやれるこ
      とをみつけるのだ。

      ・食事の介助
      ・シーツ、まくらカバーの交換
      ・着替え
      ・おむつ替え
      ・施設内にある売店での買物
      ・つめきり
      ・耳そうじ
      ・散歩
      ・氷やお湯など飲み物の用意
      ・清拭
      ・食事のとき使った食器を洗う
      ・備品をもってくる
      ・シャワーのお手伝い
      ・髪や髭のお手入れ
      ・遺体の清拭

      大人のおむつを替えは初体験。
      手間取ったあげく、裏表につけちゃってやりなおし!
      なんてことも…ごめんね、慣れてなくて、もう少しで
      終わるからと話しかけると、慣れたもので、ひょいと
      おしりをあげてくれる。


    ● そのほかに一番頼まれることがマッサージ。
      1日どんなにがんばっても、15、6人が最高だった。
      いくらやってもおわらない~、マッサージマラソン。

      マスクと手袋着用で湿気のある空気のなか息苦しい。
      手袋はズレて自分の汗で水びたし。
      手袋で患者さんの皮膚がひきつれるのも気になる。
      スペースが限られ、無理な姿勢でのマッサージ。
      硬直して感じない部位もがあれば、超過敏でほんの
      少しふれても飛び上がる程痛みを感じところもある。

      今ほんの少しの間だけでも痛みがやわらぐのなら…
      ちょっとの間だけでも眠れますように…。
      生きる力につながれ!だんだんと祈りになっていく。

      【 この人いとしいなあ、よりそいたいなあ 】
      という気持ちがマッサージの起源なのだろう。
      気持ちいいと、抵抗力や免疫力も回復していく。

    ● タイでは「寺」の持つ役割はとても大きい。
      日によって瞑想の時間があり、希望者は誰でも参加
      できる。

    ● 僧侶の中にはHIV陽性者として入所後に得度した
      方も多い。(他の寺では不可能だという)



    ● パバナプ寺トップの僧侶は毎週日曜日にやってくる。
      おこづかいとして60Bと、ココアを配る。




    ● エイズは、HIVウイルス感染により免疫不全をおこし
      免疫力が低下する病気。
      感染経路は、性行為、汚染された血液および血液製剤の
      注射、注射針の共用、母子感染、いれずみの傷に菌が入
      ることもある。
      皮膚は乾燥して剥がれ落ち、できものがある箇所には、
      大小のハエが群がる。
      腫れや浮腫みでぱんぱんになり力がないか、もしくは、
      激しく硬直する手足。聴力や声を失う人もいる。
      急にあがる原因不明の高熱や常にある頭痛、徐々に失わ
      れてゆく視力。脳に菌が入り、さまざまな認識がしづら
      くなる。

      自分では動けない方などはもちろん、高熱にうなされて
      意識を失うほどの状態では、扇風機の風の向きを変える
      ことも、どんなに喉が渇いたとしても、一滴の水さえ
      にすることすらできない。

    ● バンコクに戻ろうとした最終日、まさに息をひきとろう
      とされている方がおられた。

      タイでは頭に聖なるものが宿ると考えられているため、
      小さい子でも頭は触れてはいけない場所とされている。
      あちらの世界に、まさに移行しようとしているその時、
      ゆっくり頭をなでながら、静かにただそばにいる。

      (*なかには、死に際は側に寄らずそっとしておいて
        あげるという考えの方もいる。看護士によっては
        ついたてを用意し、他の人からは見えないように
        仕切りを置くこともありました。)




   ★ 今回出会ったこのホスピスにも当然、問題点や改善点が
     いくつもあるのは事実だ。訪れる方それぞれに意見もあ
     るだろうと思います。
      ところが、ある種のルーズな面が、患者たちを救ってい
      る場合もあるようだ。


      結果的にだが、ここは関わる人々の自然な善意でまわっ
      ていて、文化や教育の違う私達が妄信的な見方で何かの
      型にあてはめて判断するのはとても簡単だけれど、それ
      ではあまりにもったいない。
      
      それでは見えてこないものがありすぎる。
      なにがよくてなにがよくないのかは問題ではない。
      偏った見方をせず、ただ感じてみるだけでいいのではな
      いだろうか。
      

      5日間の滞在のつもりが、どうにも去りがたくて1日の
      ばし、また1日のばして予定ぎりぎりの7日になった。

      【 またくるよね?いつ? 】といわれ、えーと来年…
      と言いそうになった時、来年があるのかと、はっとした。
      
      患者達のことだけではない。
      私自身がいま何かの病気ではなくても、私も今日帰り道
      に交通事故でこの世を去ることだってあるかもしれない。


      この方たちはたまたまエイズという病気になった。
      エイズなのかガンなのか事故なのか、死に至るきっかけ
      の違いだけで差はないのだ。
      いつどうやって最後のときを迎えるのかは、誰にもわか
      らない。いずれどの人にも死は訪れる。


      死が日常の風景の一部に自然に組み込まれている環境に
      身をおくと、より【 生きる 】ということに焦点があ
      たる。
      【 いのち 】のパワーの源は【 いま 】にしかない。
      そして、オープンであることの力強さを改めて感じる。

      ここはHIV陽性者の方々のためだけの施設ではない。

      たくさんの人に知ってほしい、見てほしい。
      だいじなところに何かが響く。 
      この場所だからこそできた体験がありました。