2013年1月24日木曜日

【 滞在記26 】 【2012.10.27 ~ 11.06 】 

      

      ● 4年目


        はじめてパバナプ寺を訪れて丸3年がたった。
        施設の中は多くの場所がリノベーションされた。

        重症病棟にいる患者の様子にも変化がある。
        以前は、症状が悪化するとそのまま亡くなる方が
        もっと多かった。
        栄養状態や進歩した薬品によるものなのか。
        ただ、その結果、障害が残った状態で生きていく
        ことになった。他の慢性病とかわりないといえる
        時期が長くなったのだ。
        いまや【エイズ=死】ではないということを実感
        している。

        ただ、その分、薬の副作用やアレルギー反応、神
        経系統に影響がでて麻痺や硬直、震えや盲目とい
        った症状があらわれ、中には、高血圧、癌や糖尿
        病、欝などの精神病を同時に抱えることも少なく
        ない。


       ★2012年10月現在 
        重症病棟で過ごす患者30人の状態

        ○半身不随などの障害があり、自立歩行可能 (12名)
         うち、自力で車椅子の乗降が可能 3名 
        ○半身不随などの障害があるが、自立歩行可能 (8名)
        ○エイズ脳症の後遺症による盲目 (5名)
        ○エイズ脳症の後遺症による痴呆症(1名)
        ○薬品不適応でアレルギー反応 全身の皮膚剥離(1名)
        ○食物を受け付けず、栄養食なども嘔吐 (3名)
        ○結核 (5名)

        このなかで半身不随の26名の滞在年数は、
        6年以上…3名
        4年以上…2名
        3年以上…1名
        2年以上…4名
        1年以上…3名 
        なんと10名が2年以上も重症病棟で過ごしている。
        
        本来重症病棟では、症状が落ち着いて自分の身の回
        りのことができれば軽症病棟に移動できるが、障害
        があって車椅子が必要な状態では、たとえ症状が落
        ち着いて内臓に問題がなくても軽症病棟に移すこと
        はできない。

        パバナプ寺はHIV陽性者を受け入れていることで、
        タイ人が知らない人がいない程有名な場所なため、
        入所を望む人が列をなしているのだが、なかなか
        空きなく順番待ちのまま亡くなる人も少なくない。


          


        寺で過ごす患者は、
      【 寺に捨てられてなんと悲惨な… 】と、哀れまれ
        ているのだが、実は病院よりも手厚いケアを受け
        られているということを知っている人は【 寺に
        入れてなんとラッキーだ☆ 】という。
        生きられる時間が延びた分、悲劇だとも、また、
        そして、希望だともいう。    






      ● 僕の希望
        エイズ末期の少年のスピーチ
        国際エイズ会議の開会セレモニーにて
        (2000年 南アフリカ・ダーバン)

      
           
       
       こんにちは。僕の名前はンコシ・ジョンソンです。
       僕は11歳で、末期のエイズ患者です。
       2歳の頃、HIVに感染した人々やエイズ患者の為の
       ケア・センターで暮らし始めました。

       お母さんは、僕らがHIVに感染している事が知られて、
       住んでいる地域から追い出される事を、とても恐れて
       いました。
       お母さんは、僕が小学校に入学する前に死んでしまい
       ました。お母さんの事がとても恋しいです。

       ママは棺の中で目を閉じていました。
       やがて棺が墓穴に納められ、土がかぶせられました。
       それから時間が経つうちに、いろいろなことを忘れて
       しまったけれど、ママが生きていれよかったのに、
       思います。
       でもママは天国にいるはずです。
       そして肩越しに、ぼくを見守り、ぼくの心の中を見て
       いるんです。
       エイズになったことが悔しいです。
       だってすごく苦しい病気だから。
       
       それに、他の子供たちや赤ん坊がエイズになっている
       ことを思うと泣きたくなります。
       僕は、とっても体の調子が悪い時やエイズの赤ちゃん
       や子供達のを考える時、自分がエイズ患者である事
       がとても嫌になる事があります。

       政府は、妊娠しているHIV感染者のお母さん達が赤ち
       ゃんにエイズイルスを感染しないようにする為の薬
       をお母さん達にあげれば良いのにと思います。
        
       赤ちゃんはあっと言う間に死んでしまいます。
       お母さんに見捨てられて、僕達と一緒に暮らしていた
       ミッキーとい赤ちゃんがいました。
       彼はある日、息が出来なくなり、食べる事も出来なく
       なってしまい、病院に行く前に死んでしまいました。
       ミッキーは、とっても小さく可愛い赤ちゃんでした。
       
       もう赤ちゃんたちに死んで欲しくない。
       お母さんと赤ちゃんが愛情に包まれて一緒に暮らす事
       が出来たら、お母さん達も、もっと長生き出来ると
       は思っています。
       そうやって、赤ん坊がもう感染しなくなればいいのに、
       と願っています。

       僕が大人になったら、世界中のもっともっと多くの人
       達に、エイズの真実について伝えたいと思っています。
       世界中の人達がエイズを予防出来るようになってHIV
       と共に生きる人々や、エイズ患者に対しても敬意を持
       って接して欲しいと思ってます。

       ぼくたちだって、おなじなんです。
       ぼくたちだって、何も変わりません。
       みんな、1つの家族なんです。
       ぼくたちも、人を愛し、笑い、傷つき、泣き、生き、
       そして死ぬんです。
       ぼくたちの面倒を見てください。
       ぼくたちを拒まないでください。
        
       HIV感染している人に触れても、抱きしめても、キス
       しても、手を握っても感染しないのですから。

       僕たちの事をもっと愛して、そして受け入れて下さい。
       僕たちも普通の人間で、手もあり、足もあり、歩くこと
       だって、話すことだって出来るし、みなさんと同じよう
       に欲しいものだってあるんです。
       僕たちの事を怖がらないでほしい。
       僕たちもみんな同じ人間だから。
        

       こちらは当時11歳の男の子が行ったスピーチの抜粋です。
       彼は生まれた時にはすでにHIV患者でした。
       HIV/AIDSの偏見や誤解に立ち向かうため、幼いころから
       様々なイベントで訴えかけ、世界最年少のHIV/AIDS活動
       家として知られていましたが、このスピーチを行った数カ
       月後に12歳で亡くなりました。
       彼の魂の叫びが聞こえますか。        
       どうか、彼の願いが叶いますように☆






     ● 少年院 更生プログラム


       これがタイならではのプログラムなのかはわからない。
       ティーンエイジャーの犯罪者は、少年院に収容されるが、
       更生プログラムの一部として、3週間仏門に入り、寺で
       少年僧として過ごすというものがある。

       托鉢に出かけ、仏教の勉強や読経、施設内の掃除や整備
       の他に、パバナプ寺ならではだが、重症病棟で患者との
       コミュニケーションやマッサージがある。
       最初はスケジュールにはいっていたカリキュラムだが、
       滞在が長くなるうち、休み時間や一日の予定が終了して
       から自発的に患者のもとを訪れ、マッサージに励む姿が
       みられた。


       
             少年僧の4ハンドマッサージ!
ご満悦のポン


       日程も、ほぼあと仏教のテストを残すだけという頃に
       なって、話を聞いてみた。

     【 ここに来るまでは、エイズの患者に会ったこともなか
       ったし、まして大勢の患者が暮らす寺で長期間過ごす
       ことになるなんて夢にも思っていなかった。
       正直いって、ものすごく怖かったし嫌だなあと思った。
       こんなことになるんだったら、もっとちゃんとしてい
       ればよかったなと後悔もした。
       それが、来てみたら、みんな近所にいる人のようで、
       そう単に感染する病気じゃないんだってこともわか
       った。これはここにいて様子をみていたからわかった
       ことだと思う。寺を出るときには、きっとさみしい気
       持ちになるんじゃないかと思う。 】

       一緒にいるだけで、患者さんは元気になっちゃうとこ
       ろあるもんね、といったら、【 きっとまた会いにく
       るし、お寺にもお参りしたい 】と言っていた。



             一般人に戻った初日 (右は指導員)
       ふとした時には、まだあどけなさが残る表情が垣間見える。

          
       



      ● はさみ大活躍!

        
        障害が残る人々は、驚くほどに手や指の力が弱く、今
        まで何てことなくやっていたことができなくなってし
        まっている。

        ドアノブをまわして扉を開けることやジュースのパッ
        クにストローを挿すこと。爪切りも自分では、爪が切
        れるまで押せない。
        おかしやキャンディーの包装をあけることも、思いの
        ほか力がいるのだそうだ。【 これ開けて! 】と、
        頼まれることも多い。




        もしかしたら使えるかな~?
        小さめのはさみを使って試してみると、これが意外と
        好評で何人かから私にもちょうだい!と手があがった。
        
        障害がある方用のグッズを探してみたら、何か参考に
        なるものがあるかもしれない♪
        もともと自分で出来たことを、多少の手間がかかるに
        せよ、やりたい時に出来るのが一番いいだろう。
        まずは、何とか自分で自分のことをやれるように考え
        てのサポートを心がけたい。