● 社会と接する場所
体のバランスがとれていないと靴の消耗が極端に早く、
片方の靴だけベルトがとれたり、かかとやつま先がすり
減って、転びやすくなる。
ただバランスが悪いだけでも靴のへりはあるけれど、半
身に力がはいらず、ひきずって歩くとなると減り方は比
べ物にならないほど。
たった1度の転倒が命取りになることもあるため、気を
つけて靴をよく見るようにしている。
なるべくちょうどのサイズの確認をして調達し、実際に
買ってきたものを履いて確認してもらう。
新しい靴を手にした人は、とても喜んでくれるのだが…
それでも、その人は何日たっても新しい靴を履かないで
壊れた靴を履き続け、転ばないようにそろそろと歩いて
いるのを見かけることがある。
あれー、確かサイズはちょうどのものを選んだんだけど、
気にいらなかったのかな?気になってたずねてみる。
もし気に入らなかったのなら、交換してくるよ!という
と、その人たちからはほぼ同じ答えがかえってくる。
【新しい靴は気に入ったんだよ。でも、病院に行くとき
のためにとってあるんだ。ふだん履いちゃったらすぐ古
びてしまうからね】
2か月に1度くらい薬を受け取りに行くときのために、
とっておくのだという。
その言葉に怒って、【履かないのなら他の人にあげてし
まうよ!】といった欧米からのボランティアの人がいた。
から、どうぞ気をつけてください。古びてすり減るまえ
にまた新しく用意するから安心してはいてくださいね】
というと、ようやく新しいものを使ってくれる人もいる
が、それでもかたくなに古いものを手離そうとしない人
もいる。
病院は、唯一の社会とふれる場所。特別なのだ。
● パットム
エイズ脳症で左半身が麻痺して寝たきりになって、寺に
やってきた。
入所当時は、寺にいることに憤りを隠せないでいるよう
だった。【本当は、俺はこんなところにいるような立場
ではないんだ。すぐに家に帰るんだ。】というのが口癖
だった。
高価な空気清浄機をベッドの横に置き、氷をキープする
ための大きなクーラーボックスをもってきた。
食堂で用意される食事を口にあわないといい、ほぼ毎日
市場からおかずを購入している。
バンコク生まれのバンコク育ち。
ファミリーでビジネスを営んでおり、兄弟がそれぞれに
会社の社長を経営していて、彼は警備会社を持っていて、
現在はお兄さんが弟のかわりにみているという。
ただただ憤慨し、まわりの人を罵倒するだけの時間も続
いたが、家に帰るためには何とか元気にならなくては!
と、リハビリに励んだ。
マシーンを使い、少しづつ動かすことができるようにな
ると、朝と夕方とそれぞれゆっくりと1時間くらいかけ
ての歩行訓練をスタートした。はじめは4つ足の支えを
つかっていたが、今では片手の杖にかわった。
入所1年ほどで容体も安定し、寝込むこともなくなった
が、今度は、ぱたっと【もう、すぐにでも家にかえる】
と、言わなくなった。
となりのベッドの人が【家族が、もうおまえの帰ってく
るところはないんだよって言われたんだよ】と、言う。
また以前と同じ生活をするという、生きがいがなくなっ
てしまったパットム。
もうすっかりあきらめていた頃、ようやく家族から帰っ
てきてもいいよと連絡があった。
寺で過ごした2年を経て家に戻った彼は、今頃どうして
いるのだろう。
● おくりもの
身よりがなくて寺にやってくる方々もいるが、貧困や
面倒をみることが困難でギブアップした家族により預
けられる人もいる。
寺で手に入る生活用品や保存食、また、慰問者が渡す
金銭や物資を大荷物で家に送る人がいる。
自分が十分に持っていなくても(どれほどあれば十分
なのかは人それぞれなのだが…)施しをする機会があ
れば、自分のできる範囲で喜捨するという考えの人も
多く、確かに多くの得を積んでいらっしゃる方もいる。
上記の、家に贈り物をする人は、仕事もできなくなり、
ただ家で面倒をかけるだけの存在となり、寺に預ける
ことで実質的な厄介払いとなることもある。
厄介払いをしたはずが、寺に行って物資を送ってくる
ようになると、全く面倒を見ようとしなかった家族が、
急にてのひらを返したようにやさしくなり、何度も家
に帰るようになった。
その度に、たくさんの手土産を運んだのは言うまでも
ない。その人は、自分のものだけでは足りず、病棟の
人や倉庫から物やお金を盗むようになってしまった。