タイ ロッブリー県にある エイズホスピス ( Wat Phrabatnampu ) にて、ボランティアとして過ごす日々のこと、 懸命に生きる PWH/A ( People Living With HIV/AIDS ) の暮らしを、タイの文化や習慣をおりまぜて綴った 滞在記です。★ すべての人々が、互いに認め合い、支え合い、共に生きる健全な社会を心より願ってやみません
2013年10月23日水曜日
【 滞在記33 】 【2013.09.22 ~ 09.23 】
● 看護師長
パバナプ寺に勤務して11年になる、現在看護師長の
ウィさん。数々の修羅場をくぐってきた彼女がいれば、
大抵のことは何とかなる。
現在妊娠9か月ですが、現役で重傷病棟に勤務中。
出産予定日の5日前には、ノーンカーイの実家での出産
に備えて里帰りするという。
長時間車にゆられることを思い、そんな直前でいいの?
と驚くと【ははは、全然余裕、5日もあるのよ~!!】
と、すでに肝っ玉かあさんの様子。
1か月ほどしたら、赤ちゃんをつれて戻ってくる。
● 助け合い
パバナプ寺で長年務められた僧侶が、ホームタウンの
マハーサラカーム県の寺に移られたのは2年前のこと。
パバナプ寺にいらっしゃる時は、托鉢前の朝4時半、
まだ暗い病棟でマッサージを施し、日中には患者さん
に声をかけてまわられていた。
可能な限り重傷病棟に足を運び、患者の容体を気にか
け、共に過ごした僧侶はサンティ師ただ1人であった。
ボランティアにも気さくに声をかけ、【Where are
you from? Are you happy stay in here? Everytime
don't worry, just try to be happy !】と、流暢な英語
で話されていた。
我々ボランティアに対しても、居心地よく過ごせるよう
にとのお心遣いが非常にありがたかった。
師の持病の腎臓病と心臓病が進行して、今年になって
から何度も入退院を繰り返していたが、久々に電話で
聞いた声は、まるで別人のものだった。
あまりの変わりように驚いたという話をしたら、それ
を聞いた患者さんたちが、カンパを集めだした。
【サンティ師が危篤だって、大変だ!お見舞い金を集
めようよ!】20バーツ、50バーツ、100バーツ
それぞれがなけなしのお金を袋にいれる。
財産も家族も失っている人もいる。
この人たちにとっての100バーツの重みがどれほど
なのかと思うのに、どこかとても嬉しそうにみえた。
全財産が1000バーツに満たないという人も、
【こんなことで本当に恩が返せるとは思っていないが、
自分が生きているうちにご恩返しの機会がいただける
とは!】と、惜しげもなく200バーツを差し出した。
その様子を見ていて、ぜひみんなの気持ちをお届けし
たいと思い、急きょマハーサラカーム県に行くことに
なった。
バスだとバンコクから8時間ほどかかるというので、
飛行機で行くことにしたのだが、マハーサラカームへ
は、隣のコンケーン県の空港から値段交渉しなければ
ならないタクシーしかなく、1時間ほどかかる。
ひさびさに会ったサンティ師は、寝たきりであった。
皮膚が黒ずんで力がなくたるんでいる。目をあけてい
るだけで疲れるというのに、【また生きて会えるとは
思っていなかった。こんなことがあるだろうか】と、
かすれ声でいう。師も私も涙がでで止まらない。
もういつどうなってもおかしくないと思っていたけれ
ど、こんなに思ってくれている人たちがいるとは!と、
驚かれたようだった。
一度できた絆はかわらない。
募金した方々の写真をそえて
応援が伝わりますように(^O^)/
【具合が悪いときにお金がないとほんと困るんだよ】
お見舞いに物を持っていくと、もうすでにあったり、好みが
違うこともあるから、現金が一番いいんだからね、と教えて
くれる。みんな、身にしみて感じているんだね。
多くのものを失っているように見える彼らは、実は、とても
大切な何かを持っている。
<2年ほど前 バンコクの病院にお見舞いに伺った際の1枚>
ピザの差し入れを見て、【おお!どうして私の好きなものを
知ってるの?】と聞かれた。
もう亡くなった患者さんが、【どうせなら普段の托鉢では手
に入らない、師の好きものを差し上げたい】と、ピザの話を
していたことを伝えると【そうか、○○さんにもお礼のお経
を唱えましょう。私がこれをいただくことで、彼にも功徳が
積まれるから安心しなさい】と言ってくださった。
*患者さんやボランティアをはじめ、まわりの人々に非常に
愛情深く接してくださり、多くの教えを伝えることに専念さ
れていたサンティ師は2013年12月13日正午頃に永眠
されました。
師から学ばせていただいたことがたくさんたくさんありまし
た。まずお会いできたことが私の人生の宝ものです。本当に
どうもありがとうございました。心より、ご冥福を祈ってお
ります。
● 変化
ARVを使用していないP’パン
意識が朦朧とし、自分の便をまわりにぬりたくる
1990年代中頃に、ARV(抗レトロウィルス薬)と
呼ばれる医薬品が開発されてから、HIV/AIDSへの取
り組みは、劇的に変化した。
異なる種類のARVを同時に服用することによって、体
内のウィルス量を低く保ち、免疫機能を正常に近いレ
ベルにまで回復させることができるようになったのだ。
ARVが現在のように使えるようになる以前は、がり
がりにやせ細り、ただただ生命の灯火が消えていくの
を待つだけだった。
HIVの報道で取り上げられてきているのは、一番な
悲惨なショットであることが多い。
その頃の印象が強いようで、見た目HIV末期に見え
ない患者さんが多い。
想像と違っていたら、それだけで【なーんだ、もう大
したことないんだ】と、がっかりする訪問者も多い。
それは、他の国から見学にやってくる医師や看護師で
も同じだ。
ARVは、副作用も大きい。患者の容体によってどん
な副作用であらわれるかわからない。
副作用なのかもはっきりしないが、、容体がよくなっ
たと安心していても、バランスを崩して転倒し、打ち
どころが悪くて突然亡くなることも、かなりの確率で
おきている。
特効薬ができたからといって、全ての問題がなくなっ
たりはしない。むしろ、問題が水面下に潜りこみ、見
えにくくなることだってある。
表面を見ただけでは、決してわからないことばかり。
変化に耳を傾ければ、きっと伝わってくることがある。