2014年1月17日金曜日

【 滞在記35 】 【2013.12.08 ~ 12.10 】

      




      ● 少しづつ…

      AIDSが発症して重症の状態で入所する人が多いなか、HIV
      陽性だが、AIDSが発症していない状態で仕事をして普通に
      暮らしている時に交通事故にあい、障がいをかかえて寝た
      きりの状態でやってくる人がここ何年かで増えている。

      障がいがあって、重症病棟から他に移動できず、車椅子で
      生活しているような場合、CD4が高くても、重症病棟以外
      に移動することはできない。
      どこも段差があって車椅子での移動が不可能だからだ。

      そういった方々が重傷病棟に何人かいるが、ワーンもその
      うちのひとりだ。
      痛みがある場合は、事故の後遺症によるものが多かったの
      だが、次第に足や胸の痙攣がおきるようになってきていて
      特に右側には麻痺もでている。

      いつのころからか手足の爪も黒ずんできた。痛みや痒みが
      あるわけではないそうだ。薬があわなくて同じ症状の人は
      薬を変えたら、自然に治ったという。

      ワーンは、交通事故の後遺症の痛みがあり、かつ、体型が
      大柄で車にのっても揺れがダメージがあるため、病院に行
      くのはよほどの覚悟がいる。
  
      週1で訪れる医師とのやりとりの中でなんとか改善できる
      といいのだが。 
        

       
    
      
    
         指マッサージで少しはめぐりがよくなるのかな。
         ちょっと試してもらうことにしてみた。






      ● 寺に暮らす子どもたち 

      寺は、21年前からHIV/AIDSの人々を受け入れたのだが、
      その10年後、ロッブリーの寺から1時間ほど離れたナコ
      ンサワン県との県境近くに学校や住まいをつくり、子ども
      たちが安心して暮らせる場所としてセカンドプロジェクト
      をつくりはじめた。
      病気のことも考えて、養生できるように、山の多い空気の
      きれいな場所にしたそうだ。

      エイズを発症した大人たちは、人の抵抗力によってあら
      われる症状がさまざまで、目もあてられない状態の人も多
      くいるが、HIVを患った子どもたちが、大人の病状を身近
      に見て暮らし、【ああ、自分も大きくなったらこうなって
      しまうんだ】という思いを持ったまま育つのは、あまり健
      康ではないという理由だったのだそうだ。

      そういったこともあって、たいていの子は、セカンドプロ
      ジェクトに暮らし、敷地内の学校に通う。
      
      ただし、親がパバナプ寺で仕事をしている場合は、例外と
      して寺で親と暮らし、親が近所の学校へ送り迎えをする。



      現在、寺で暮らす子どもは7人になった。
      最年少は、8か月のマープローくん。



      ママは、26歳のプローイ。
      18歳のころ、HIVが発覚した



      だんなさんは香港の人だったが、奥さんがHIVであることを
      知って逃げてしまったのだそうだ。
      マープローの切れ長の目もとは、パパそっくりだという。

      寺にやってきたその日から、マープローが病棟のアイドルに
      になったことはいうまでもない。
      みんな自分の親戚の子どものようにかわいがって一緒に面倒
      をみている。

      抵抗力が低い乳児が病棟にいるのはどうなんだろう?
      セカンドプロジェクトにいったほうがいいんじゃないかとの
      スタッフの声もあるが、寺のほうが訪問客も多く寂しくない
      から、こっちにいたいというママ、プローイの気持ちがかわ
      ることはなかった。



      ゲームも2歳半になった。
      大好きなパパとママに、そして、周りの人たちみんなから
      大事に育てられている。



               仕事おわりのパパと散歩中



                笑顔もママそっくり~!





      トーンは、父とともに寺にやってきた。
      小柄だが、5歳の女の子。左隣にいるのは、父ではない。
      トーンの父は、逃げられた妻へのトラウマが深く、欝でひき
      こもり状態なため、近くのバンガローにいるキットが見かね
      て、トーンの面倒をみているうちに、自然と朝のそうじをす
      るキットさんのお手伝いをするようになった。

      ぼくのことを友達だと思ってくれてるんだよー。この子は、
      とても頭のいい子でね、アルファベットを教えてもすぐに覚
      えるんだよ。それなのに父親が面倒をみないから、このまま
      学校に行かないこともあるんじゃないかと気が気でないんだ
      と、キットは話してくれた。

      細やかな愛情たっぷりなキットは、小さな友達のために何か
      できることはないかと、いつも心を配っている。






         おもちゃや服をほとんど持たないトーン。
       もちろん物だけが彼女を幸せにするわけではないのだけれど、
       寒いときに羽織るものがあって、寂しい時に遊べるおもちゃ
       がってもいいな☆と、プレゼントを選んでみました。






      ● 希望の人
   
      なぜ彼を【希望の人】と呼びたいのだろう。
      2013年はじめ頃に寺にやってきたガイソン。

      HIVのほかに、重度の糖尿病も患っており、右足を切断した
      状態だった。
      それが、左足にも進行して切断を余儀なくされて病院に長期
      入院することになった。数か月ののちに病院から戻った彼に、
      【何か必要なものはありますか?】と聞くと、【靴がほしい
      との言葉がかえってきた。

      えっ、靴?と思ったが、彼はたてかけた義足を指差して【義足
      のままだと歩けないんだ。ふつうの靴だと靴底がすべりやすい
      から体重をかけるのが難しい怖いんだよ。】と説明してくれた。
      義足にフィットするものか~、想像力を働かせるより、彼の希
      望をしっかり聞いていったほうがいいなとしばらく話を聞いた。

      特にすべりづらい靴底で、足をいれるだけのタイプの靴でなく、
      足の甲をマジックテープで押さえるタイプのサンダルがいいと
      いうことに落ち着いた。



      義足をはく際に足を守る靴下タイプのストッキングは日本から
      用意しました。



      義足をつくるプロセスは簡単ではないようで、もう何か月も
      のびている。早く歩ける日がきますように♪


        散歩にいけるようになったら使ってもらえるように、肩から
      かけるタイプのバッグをプレゼントしました。
     
      がすごいのは、信じて疑わないこと。
      どうしてこうなっちゃったんだろうと落ち込んでいるだけで
      なく、現状でできることだけをみていること。
      たくさんのことを教えてくれる人である。












2014年1月16日木曜日

【 滞在記34 】 【2013.11.10 ~ 11.11 】






       

    ● 乾季の到来

      ゲストハウスから寺への道のりにある、おかずやさんの息子は、こんな
      バリバリ真冬の服装!
      ロッブリーの山の近くは、木も横にたなびいた様相になるくらい
強い風
      が吹いています。










    ● ウィライの変化 

      今年は66歳になるウィライ。入所した頃から、交通事故で右の脳と
      頭蓋骨がない状態だった。本人もどんなことがあったのか理解して
      いないらしく、誰も詳細を知らない。脳のあった部分が水ふうせんの
      ようにふくれあがって熱をもっていた。





      それが、しばらく見ないうちにその水ふうせんのようにふくれていた
      部分がすっかりしぼんでぼっこりと穴があいたようになってしまった。

      目も見えづらくなってきている。
      そして、腕と足のあちこちに、ひどい痒み伴う大きなできものが
      できて、治らなくなった。
      カポシ肉腫のようだと言った人もいましたが、アジアではカポシ肉腫
      が伴う型はそう多くはないと聞くが、医師はそれに対しては答えてく
      れなかった。



     
      それなのに、今までと相変わらず食欲があって冗談もさえている。
      彼女のなかで何が起きているのだろう。





      ● 抗レトロウィルス薬(ARV)治療

      抗レトロウィルス薬(ARV)があれば、患者はHIVととに生きることが
      できる。ARV治療でウィルスは根絶されないが、体のほかの部位への
      ウィルス拡大を阻み、CD4リンパ球数を一定以上まで増加させること
      で、病気の進行を遅くし、患者の臨床状態を改善する。

      しかしARVは非常に強力な薬で強い副作用が現れることがあり、投薬
      をスタートした最初の数週間は気分が悪くなることが一般的だといわ
      れている。その時の症状にあった薬の組み合わせを、医師とこまめに
      やりとりをしながら根気強く探すことが必要になる。

      そんな手間と時間ををかけることは困難であるため、強い副作用が
      あらわれると、それがきっかけで命をおとしてしまう人もいる。
      この状況のなかで生き抜くだけの力があるかどうかにかかっていると
      いえるのだろうか。

      そして、どんなにいい薬があっても、それだけでは決してHIVを克服
      することはできない。医師が根気よく患者と相対することではじめて
      特効薬を最大限に活かし、命につなぐことができる。



        
        
         タムは、ARVをスタートしてはじめての副作用の
         時期を乗り切ったあと、あまりの体調の変化に、
        【生まれ変ったみたいだ!】と、とても喜んでいた
         のだが、その1か月後、またARVの新たな副作用
         でエイズ脳症を発症してしまった。

         

                 元気な頃のタム







      ● HIVではなくても…

      癌末期のエーは、HIVではないのだが、寺にあずけられている。
      脳にダメージがあり、言葉もほとんどしゃべらず、食事も自分では
      食べることができない。





      ヤーオ以外の人が食べさせても、食が進まず、結局はヤーオが毎食の
      食事の介助を手伝っている。
      癌の痛みがはげしく、ひどいときには涙を流して苦しむのだが、発作
      のように訪れる激しい痛みがでると、隣のベッドの患者が預かってい
      る痛みどめをのませる。
      飲むこむ力も衰えてきていて、薬をのむのも一苦労。

      行きどころのないHIV/AIDSの人々のためのホスピスとして世界的に
      有名なパバナプ寺なだけに、HIV/AIDSでない人も受け入れていると
      いうと意外に思われるかもしれない。

      誰でもOKですよ、みなさんいらっしゃーい!というわけではないが、
      何か事情がある人々が受け入れられている例がいくつもある。

      HIV/AIDSのため、国に帰れなくなった外国人。
      他の病気があって社会に居場所のなくなった人。
      そういった事情がある、他の宗教を信仰している人。

      枠がゆるいと、どこにもいることができなくなった人たちの救世主と
      なることもある。

      結局のところ、パバナプ寺は、HIV/AIDSのホスピスではなく、タイ
      の寺なのだ。困った人がいれば、基本的に寺は入所を拒むことはない
      といわれている。(*パバナプ寺は、入所者に、治療に専念しますと
      同意もと、いくつかの禁止事項が設けられている)